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大事な大事な1週間。

 

そしてひと月が終わったけれど。

この2022年10月は今まで生きてきた中で、

最も静かで清らかで気持ちの良い

とってもとっても愛おしい月になりました。

 

大事な、大事な、一生忘れたくないひと月に。

 

 

 

先週は日記をつけ忘れてしまったけれど

それはなぜなら、宮古島への旅行に夢中だったから。

新婚旅行という名の、のんびり旅を6日間かけてじっくりとしていました。

 

彼とは休みが合わず、泊まりに出かけることはあっても

いつも日にちが限られていたり

どちらかが先に帰ったり、行き先に留まったり。

初めから一緒に出発して、一緒に帰るなんてこと

それから飛行機に乗って、旅中もずっと一緒に過ごすこと、

初めてのことでした。

 

でもやっぱりすごいのは

居心地がとてもとても良い人だということです。

 

いつも忙しなく毎日が過ぎていってしまうけれど

今回は予定も詰めずにのんびり過ごしました。

そうやって次の行き先や用事がなくても

それが何の障壁になることもないし

ただぼーっとしたり、同じ部屋でそれぞれの時間を過ごしたり

おしゃべりをしたり、食事をしたり

どれをとっても

どのひとときも

とっても心地の良いものでした。

 

響きがあまり良くないけれど

一緒にいて とても快適。そういうものでした。

 

 

旅先で

彼のおじいちゃんの訃報を聞きました。

悲しいけれど

長生きができて

そして何より、5月に少しだけあって、同じ空間を共有して

笑顔で同じ時間を過ごすことができた、これが本当に嬉しくて。

だからこその悲しい別れだし

相手の家族のことを思うとその煩雑さや苦労に頭が下がるばかりですが

どうかおじいちゃまには安らかな天国での時間を

家族の皆さまには穏やかな日々を

与えていただけるよう、神様にひたすら祈るのみです。

宮古の広い海と空を見て

おじいちゃまに手を合わせたれたのは

何だかいつもよりも風通しのより世界にいるようで

もしかしたら東京から祈るよりは、伝わりやすかったのような、

そんな幻影のようなことを今思います。

 

 

そして感情を垂れ流すように色々書くけれど

今回は新しい命が巡ってくることはなく

その実感を得るまでの感情の波の苦しさは素直に書き残しておこうと思います。

しっかりと上がる高温期の体温。

眠いし体調もあまり良くない状態でした。

おなかに命がある状態で飛行機に乗ったり、冷たい海に入ったり

絶対体には良くないと思いながら

もしも宿っているとしたら、あなたの命の始まりのことに

あんなに美しい海を一緒に楽しんでいたのよと

そんなふうにお腹に語りかけながら過ごした不思議な数日間。

女性の体ってそう思うと本当に厄介。(ううん、神秘!)

月のサイクルで出血があったり体温が上がったり、それに似た体の動きを命が宿った時にもする

今月はやってきたかな、なんていう期待を

これからもしかすると数回にわたって体験してしまうのかもしれない。

そんなことがあり得た初めての周期だったから

期待と緊張と、その波で

正直心はとっても疲れました。

 

きっと答えはこうなの

①命が宿ろうが宿らまいが

自分の体はとっても大切、いつもいつも温かくして慈しむべき。

(子どもがいる気がすると体や食べるものをめっちゃ気を遣う。自分ひとりに対してもそうするべき)

②くるときは、くる時。来ないときは、体が軽くっていろんなところに行けるよって時。

(期待してガッカリする、を毎月していたら、今後絶対精神が持たない。どっちでもいい。どっちにしてもそれがその時の体に適した解であるはずだから。)

③自分ひとりでわかるものじゃない、耐えるものでもない。

(お医者さんや検査薬にかわからないことも多いし、一人で予測したり妄想したりするのは不健康。検索魔になるのも体にも目にも頭にも悪い。彼とゆったり話していれば忘れられることも多かった。自然に過ごしていきたいものね)

でも10月なかばにも書いたけれど

この神秘的な現象や気持ちが少しずつリアルなものになっていくこと自体が嬉しいし、面白い。

前は期待さえしていなかったから。

ここからなら「いつでも良いんだよ」と堂々といえる。

 

楽しみ。ひとりで過ごすことも。2人になるかもしれないことも。

全てを楽しんでいくのが一番の答え。

 

 

自分の中でこういうことで考えを巡らすことが多い時間だったけれど

総じて

やっぱり私は自然や海や動物が大好きで。太陽も大好きで。

毎日太陽の恵みをたっぷり受けて

次の日の心配も何にもなく過ごして

心がのびやかでびろ〜んと過ごしていた。そんな最高の旅でした。

 

そうそう、台風が近づく海を見てこう思いました。

10月の初めの京都の風景と比べて

動かない静かな自然が大好き

風や波を立てる動的な自然が大好き

あれれ、どっちも好きじゃない!どっちも偉大じゃない!そんなことをふと感じました。

動も静もどちらも持っている雄大な自然。

尊くて、それは近くにいつもあるものだけれど

やはりここまで直に感じられる自然や太陽は、影響力がただならぬものだと。

 

身近な小さな自然も大好きで大切にしたいけど

やはりこうして雄大さをががんと感じ取れる自然豊かなところに積極的に足を運び続けたいと思うのでした。

 

ビーチでゴミ拾いをしたこともまた印象的なおもいで。

この美しい海が

人間によって汚されてゆくままにならないように。

本当に悲しいけど

海の中、綺麗だけれど

小さい頃の島の海の綺麗さよりはどこか劣っているものがあったと思う。特にサンゴ礁

すごく悲しいこと。

 

綺麗で感動はしたけれど

比べてしまった時のことやるせ無い気持ち。

 

このまま美しい海が消えてしまうなんて絶対嫌よ。

 

人間として、何ができるかな、そんなことも考える旅でした。

 

今このタイミングで宮古で時間を過ごせたことは

本当に意味があることでした。

 

ここから、形や行動に変えて。

 

 

 

 

そして思っている何倍も

彼のことが大好きで、近くにいるとこんなに幸せなんだなって。

 

うんうん、幸せだよ。

 

愛が全てだね!

 

 

(あやかさんと過ごした日も楽しかった〜!お皿を三つ用意してくれる麦ちゃんの愛とか

大好き〜!って言ってくれる体温の高い生命体が家にいる幸福感とか、「こどもくるよ」っていう嬉しくてとても精神性の高いような言葉をかけてくれたこととか、全部忘れたくないな)